「つばめが飛んだ空」6 Written By 桜 月桂樹さま
「い、いや、元気でねって言おうと思って。」
萩本の精一杯の虚勢に返ってきたのは、彼女の名前の通りのまぶしい笑顔だった。
「ありがとう。萩本くんも元気でね。
矢代くんの所の遊びに来たら、あたしにも声かけてね。
コンパはこの人に禁止されてるけど、矢代くんと萩本くんに誘われるなら絶対行くから。」
彼女の笑顔は残酷で、だけど、それでも萩本はこの笑顔が自分だけに向けられていると
いう事が嬉しいやら悲しいやらで、もう泣き笑いに近い顔をしている。
彼女は気づいてないのか?
気づいていても知らないふりをしているのか?
前者ならただの世間慣れしてないお嬢様、後者なら立派なレディ。
事の真相を知っているのは、彼女の隣で佇む色男だけだろう────矢代は
ずれてもいない眼鏡をまた直しながら、彼女たちに見えないように、口には
出さずに友人の苦しい胸の内を察してため息をついた。
「───じゃ、もう行かなきゃ。さよなら、萩本くん。」
まぶしい笑顔のまま、長い亜麻色の髪を翻す彼女の姿が萩本の視界に残像と
なって残る。「さよなら」の言葉だけ、そこだけが萩本の耳に残って痛みに
変わってゆくのが手に取るようにわかるのが悲しくて、矢代はまるで
自分の失恋のような顔をして傍らに立っている友人の表情を盗み見た。
「…死にそうな顔色してるぞ、萩本。」
言葉を選んだつもりでかけた言葉は、端から聞いていると救いにもならない
みたいだったけど───矢代の方から声を掛けられてほっとしたのか、手痛い現実を
見せられたはずの萩本は予想よりずっとさばさばした表情で、彼女が見えなくなる
まで振っていた手をそのまま頭の上で組んで、一回思いきり背筋を伸ばしていつもの
あの笑顔を矢代に向けた。
「ココまでやられりゃイヤでも諦められるよな〜。
あの色男相手なら、矢代ちゃんはもちろんこのオレでも勝ち目なんかないモンねぇ。
オレは落ち込まないよ〜、この世の中輝ちゃんだけが女じゃないんだから!」
「…お前って、本ッ当羨ましい性格してるな。」
さっきまで同情しきっていた矢代が、今度は呆れている…。
「心配して損した」とでも言いたいのだろう、矢代は言葉では辛辣なことを口に
しながらも、親友の胸のうちを思いやってかその声の響きは言葉の意味よりも
ずっと穏やかだった。
まるで、振りそそぐ早春の日射しのように…。
「…あ、つばめ。」
「もうそんな時期か。」
「あッたり前でしょ? オレらが卒業なんかしちゃう時期なんだよ。」
ふっと空を仰いだ萩本の視界を、黒い矢が横切った。
それは春の訪れを告げる鳥で、下に降りてこないあたりを見ると明日も
いい天気になるらしい。心が軋むような思いをした後だというのに今日も明日も
いい天気になるなんて、皮肉なのか救いなのかわからないけど…
「落ち込んでるヒマなんかないってコト!」
こんな状況だったら、良い方に取るのが萩本のセールスポイント。
そしてその勢い任せな彼のペースに、矢代はいつも引きずられている。
でも、それでも息が合っているのは不思議だけれど…
「…お前、女の子を見る目だけはあるよな。」
誰でも憧れる高嶺の花。
取りたてて誰も騒がなかった「藤原 輝」はまさしくそれで、たぶん誰もが
のぼせて玉砕するのが怖くて声を掛けられなかったのだろう。
そんな彼女に面と向かって声を掛けて、それで玉砕したのだから萩本は男らしい。
そんな彼を見ていて、笑うどころかその(無謀とも言える)勇気には感心しきりだった。
「おう! 見る目あるだろ!!
矢代ちゃんだってあると思うよ〜、オレほどじゃないけどね☆」
「……からかうなよ。」
せっかくこっちから褒めたのに、見事に切り替えされては(しかもごく自然に
褒め返された。)かえって照れくさい。矢代は少しの間、落ち着くまでの間
顔を見られたくなくてわざと先に、足早に歩き出した。その後を萩本が小走りに追う。
「…で、矢代ちゃんは言わないの?」
その言葉に、矢代が凍りつく。
「諦めるよか言って玉砕した方がよっぽど諦めつくと思うよ。」
萩本の言葉は、彼のたった今の経験に基づいたもので、彼を見ているとその言葉が
的を射ている事はわかっているけど……
そう、言うことなく、自分から諦める事に決めた。
矢代の好きな彼女の瞳が誰をとらえているかを知るのが怖くて、自分より魅力的な
誰かを見ていることを目の当たりにするのが怖くて言葉にすることをやめた。
「オレはね、結構すっきりしてンの。だって今まで見てるだけだったのに、お前が同じ大学に行くからとりあえず
お友達にはなれそうなんだモン☆
…オレ、ココまででいいや。矢代ちゃんは行くトコあンだろ?」
「……え?」
「いっといでって。もしかしたら、最後の最後で大逆転!があるかもよ?」
言葉でも手でも、萩本が矢代の背中を押す。
萩本の言葉には、いつも妙な説得力があって今回もそれに逆らえずに矢代が一歩、
二歩と思い足を踏み出してゆく。…彼の言葉通りの大逆転なんてそうそう
ないだろうけど、それでも彼が口にすると「もしかしたら」なんて考えて
しまうから不思議だ。
矢代がちらりと目だけで振り返ると、少し離れたところに立っている萩本の顔が
笑っているように見えた。そんな友人を確認して、矢代が校舎に足を向ける。
「…やれやれ、引っ込み思案な友達持つと苦労するねェ。」
やっと見えなくなった矢代の姿に、ひとり残された萩本がそう呟いた。
もしかしたら自分と同じ思いをするかも知れないけれど、端から見ていて気が付く
なんて事も多い。そして萩本は矢代が気づいていないことに気が付いていた。
『最後の最後で大逆転』
その言葉はただ矢代の背中を押すだけのものじゃなくて、根拠のない確信を持って
口にしたつもり。
萩本は、玉砕した自分の事はとりあえず置いといて空を見上げ、もう一度
思いきり背筋を伸ばした。
矢代みたく、背中を丸めていても何も始まらない。
憧れの彼女と接点が出来たことを喜んでいるのは嘘でもないし、落ち込むよりも先に
やりたいことだってある。
「…来月になったら、矢代ちゃんダシにして輝ちゃんをコンパに誘うか!!」
低い空が、少しずつ高くなってゆく─────
そして一月後。
萩本の目論見通りに大学生になったばかりの矢代をダシにして、憧れの彼女を
コンパに誘い出すことに成功した。
彼女は長い亜麻色の髪をばっさり切って毛先を可愛くくるりと外向きに巻いて、
高校にいた頃とは少し雰囲気を変えて現れた。
お目付役のあの美青年はそばにいないけれど、その代わりとばかりに彼女の
左手の薬指には大学生には少しばかり不釣り合いな指輪が輝いていた。
「…ッたく……俺をダシにするなよな。こんなところ碧に見つかったら
どう言い訳すりゃいいんだまったく………」
そしてダシにされた本人の言葉が、かっくり来ている萩本にさらに追い打ちをかけた。
冗談半分、自分の落胆の十分の一でも感じさせてやろうと思って口にした言葉が
瓢箪から駒、矢代のお目当ての彼女も萩本の言葉通りに待っていたらしくて
今では矢代も立派な『彼女持ち』だった。
「…オレの春、いつ来るの?」
萩本の言葉は、少し冷たい春の夜風に吸い込まれて消えた。
─────────終わり
Writted by桜 月桂樹sama
2001.05.16
桜 月桂樹 sama:sakuralaurel@par.odn.ne.jp
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